純米酒への信念と、人から人へ受け継がれる玉乃光の物語。
「父の想いを受け継ぎ、食卓へ届ける酒を信じて」- 取締役 東 千代子 –
玉乃光酒造株式会社 取締役
東 千代子
先代社長の娘として、父が大切にした純米酒への想いを受け継ぐ。 食事とともに楽しむ玉乃光らしさを、家族として、取締役として、次の世代へ伝えている。
東さんは、玉乃光にどのような立場で関わってこられたのでしょうか。
父が長く社長をしていましたので、その娘として育ちました。ただ、住まいは蔵とは別の場所にありましたし、いわゆる「蔵の娘」として育ったという感覚はあまりありません。
会社に関わるようになったのは、父が病気をした後です。助けてほしいという話があり、私にできることがあればと思って会社に来るようになりました。
それまでは別のお仕事をされていたのですか。
特別な仕事をしていたというより、普通の主婦でした。
主人の仕事を少し手伝うくらいでしたね。
会社では、どのような役割をされていたのでしょうか。
具体的に大きな仕事をしていたというより、父を会社に連れてきたり、そばで支えたりしていました。
父は病気の後、言葉が出にくい時期もありましたので、父の想いを伝えるような役割だったと思います。
お父様は、どのような想いで玉乃光のお酒を造られていたのでしょうか。
父はよく「本来、お酒は純だった」と話していました。
30年ほど前は、純米酒はまだ特別なお酒のように見られていたと思います。
でも父は、自分がおいしいと思うお酒を、真面目に造って届けたいという想いが強かったんです。
父はお酒が大好きで、食べることも好きでした。
玉乃光を置いてくださっている居酒屋さんに行って、隣に座った方に一生懸命お酒の説明をすることもありました。
後から「お父さんと一緒に飲んだよ」と声をかけられることもありましたね。
先代の純米への想い、そして会長のブランディングなど、玉乃光は時代に合わせて変わってきました。その流れをどう見ておられますか。
地元で造って、地元で売る時代から、時代は大きく変わってきました。
父が和歌山から伏見へ出てきたのも、蔵が少なくなっていく中で、物流の便がよい伏見を選んだからだと思います。
時代の流れに合わせながら、昔ながらの造りを続けていく。
会長がブランディングに取り組んだことも、消費者が変わっていく中で、玉乃光をつないでいくためだったのだと思います。
熟成酒という新しい取り組みを聞いたときは、どう感じられましたか。
やっていることは新しいのですが、消費者の変化に合わせて届け方を変えているという意味では、これまでと同じだと思いました。
寝かせていたお酒を、今の時代の人に飲んでもらう。
過去から今へ、そして次へつないでいく感じがして、いいなと思いました。
これからの玉乃光を、どのように伝えていきたいですか。
若い方のお酒離れが進んでいますし、お酒に対してマイナスのイメージが強くなることもあります。
それは仕方のない部分もありますが、日本の食文化として、日本料理とお酒の関係はやはり大切だと思います。
神様にお供えするお酒もそうですし、暮らしや節目の中にお酒があることには意味があります。
マイナスの面だけではなく、食事と一緒に楽しむ豊かさを、若い方にも知ってもらえたら嬉しいです。
東さんにとって、玉乃光らしいお酒とはどのようなものですか。
私は「純米吟醸」が好きです。
スーパーにも並んでいる商品ですが、食事と一緒に飲むには本当にいいお酒だと思います。
大吟醸よりも、吟醸の方が自分には合っているのかもしれません。
父も食事と一緒に飲むお酒を大切にしていました。
玉乃光は、やっぱり食中酒なんだと思います。